■塩屋商店会(垂水区) (NO.56)

塩屋“絵地図”
 「蝸牛 角ふりわけよ 須磨明石」。俳聖・松尾芭蕉の詠んだ蝸牛(かたつむり)は、須磨と明石を挟み、どの地で角を振り分けたのか。その地は塩屋といわれている。
 塩が作られていたことが語源であり、漁業や海苔の養殖が現在も盛んな景勝地・塩屋は、文豪サマセット・モームの短編「困ったときの友」にも登場する歴史に彩られた街だ。
 1888年、風光明美な塩屋に外国人が移り住んできた。明治から商店の集積が始まり、ジェームス山の外国人の御用聞きが塩屋商店街の原型とされている。100年を超える老舗もある。当時珍しいパン屋があり、紅茶も普及していた。`東の芦屋、西の塩屋aと並び称されてきた。
 いかなご釘煮発祥の石碑がある塩屋商店会は、もうすぐ60年を迎える。1955年、前身の塩屋商店会連合会が発足。1970年前半には80店近くが林立し、最盛期を迎えた。 震災で数店舗が全壊したものの、組合設立50周年を迎えた際、神戸出身の伊藤太一氏に絵地図看板とマスコットキャラクターの制作を依頼。塩屋の魅力が詰まった和と洋が折衷する楽しい`絵地図aが地域内各所を彩った。

梅本会長(前列中央)を囲んで
 伊藤氏デザインのキャラクターはネーミングを公募し、「しおみちゃん」に決定。ホームページや絵地図をはじめ、様々な媒体で親しまれている。
 外国人居住地があり、洋館も多く、下町と西洋が共存する独特の雰囲気。観光地化されておらず、北野地区とは雰囲気が幾分異なっている。古き異人館「グッゲンハイム邸」で定期的に開催されるコンサートも好評。地域は細い路地が多く、レトロ感も人気の一因だそうだ。
 商店街北西部の青山台地区を中心に、周辺人口は増加しているものの、後継者難で廃業を余儀なくされた店舗が増えてきた。一方で「駅から近い利便性など、出店しやすい条件も整ってきたので活性化も期待できる」と話すのは、塩屋商店会の梅本義一会長。「若手商業者が塩屋で店を開きたいという傾向もあるようだ」と金本規永副会長も声を揃える。
 夏冬の大感謝セールに加え、昨年開催し好評を博した七夕まつりを、今後も継続開催。5月上旬には、商店街に近接する塩屋谷川などで鯉のぼりが風にそよいだ。

レトロ感漂う商店街
 地元のまちづくり団体との連携も密接だ。防災防火訓練をはじめ、積年の念願でもあったJR塩屋駅のバリアフリー化とエレベーター設置が来年実現。商店街も全面的に協力してきたと守屋副会長は話す。
 塩屋駅のホームに降りると、鮮烈な潮の香りを感じる。歩くごとに風景が変わる傾斜した路地のような商店街地区では、現在約50店舗が営業している。20%以上が飲食店で、カレーをはじめ様々な芳しい食材の匂いを次々と感じることができる。カフェで寛ぐ外国人も、塩屋の日常の風景に溶け込んでいる。そして、かつての時代をリードした`鈴木商店aの蔵屋敷も残っている。
 海があり、山があり、源平の史跡があり、神社仏閣があり、そして異人館や居留地がある。エキゾチックで開放的な街並み。商店街を中心とした塩屋地区の魅力は尽きることがない。一度訪れたら、また足を運びたくなる街だ。
(2010.6月発行)