■大丸前中央商店会(中央区)
(NO.55)
大丸前中央商店会
兵庫県随一の売上、規模を誇る「大丸神戸店」。その北側に、居留地の雰囲気にふさわしい店舗が集積する中の島 がある。「大丸前中央商店会」だ。古くから西国街道として交通の要所であり、南京町、トアロード、神戸大丸などの結節点として栄え続けている。
古くから老舗があった同地域に、大丸神戸店が昭和2年に開業。店舗の集積が始まり、昭和10年に三宮中央会が結成された。大丸前を市電が通り、三宮神社境内は東の盛り場として栄え、街路灯も40基設置された。
戦後いち早く三宮復興会が結成、昭和21年に共同店舗を建設し、商店街が再び形成されてきた。戦後の都市計画により北側に新しい道路が完成し、市電が移設。32年、最初の中高層融資を利用し集団店舗を計画、順次完成した。
昭和35年、市電軌道移設に伴い、大丸と協同してカラー舗装を完成させ、同時に第一次アーケードを建設。10年おきに第二次、第三次と常に一新されてきた。
震災の被害は比較的軽微で、早めに営業を再開。そして、地下鉄海岸線開通に合わせ、アーケードを撤去した。神戸は年間40日しか降雨がないというデータがある。気候のいい青空の下の、広い歩道の解放感は格別だ。東京・銀座を昼に散策するような、上質の気分を味わうことができる。
鯉川筋沿いにある、4本の巨大なオベリスク。「出会いの門」として親しまれ、三宮中央通りの完成を記念し、アフリカ・ガボンの樹ブビンガで作られた。世界の結節点となる場所に、新たな出会いと神戸市の更なる発展という願いが込められている。
人通りが絶えない神戸の中心地として栄えてきた大丸周辺地区だが、大阪梅田ヤードの開発など、ますます都市間競争が過熱する。「三宮全体を一つの集積と考えるべき。神戸はこのままでは取り残されてしまう」と大丸前中央商店会の永田耕一会長は危機感を強める。「都心である以上、市内だけでなく市外にも目を向けて商売せねばならない」(永田会長)からだ。
全国展開のナショナルチェーンが、神戸のみならず日本中の都心に進出。街並みに変化をつけていくことが困難な時代を迎える中、「神戸らしさを消さないためにも、賃料減額してでも個性的で魅力あるテナントを誘致し、皆で努力して街のグレード感をキープしていくこと」(永田会長)がポイントだ。
従来の施策やイベントをゼロベースで再構築し、個店の更なる努力を加えて都市戦略の抜本的見直しを訴える永田会長。都心商業のあり方を真剣に検討する、横断組織の必要性を説く。「都心の居住環境を整備し、人が住むようにすること」を、永田会長は30年まえから提唱してきた。
同商店会をはじめ、周辺商業団体が加盟する元町東地域協議会(MEW)のメインイベントに、「元町イーストジャズピクニック」がある。大物ジャズミュージシャンも招き、地域内数か所でライブが行われている。ハイカラ元町にふさわしい催しだ。
「KOBEルミナリエ」のより有効な運営、実施活用方法に加え、神戸固有の素晴らしい資源の活用に、神戸らしさの復権を見出す永田会長。会長のコメントが、活性化のヒントである。「海から見る神戸をはじめ、普段気付かない素晴らしい神戸の資源は豊富にある。海と山がこれだけ近接している大都市は、他にないのだから」。
(2010.5月発行)