■元町穴門商店街(中央区) (NO.54)

穴門商店街でのインフィオラータ
 JR・阪神元町駅東口から南側に目を向ける。最初に気付くのは、「元町穴門商店街」という震災前から設置されているユニークな形状の看板だ。昔はアーチが掛っていた。
 昔からの老舗も残る穴門商店街。明治時代から商店街として集積してきた歴史がある。
 第二次大戦後、いち早く瓦礫が取り除かれ、甲号乙号といったバラックが建てられた。昭和21年に元町駅前市場組合を結成、市場として発足した。
 当時、元町駅周辺は土盛で分断されており、線路の北と南を結ぶトンネルがあったことから、「穴門」という愛称が定着していく。ゆえに元町駅北側も、穴門と呼ぶ人も多い。
 昭和24年、立地などから市場では不向きとされ、「元町穴門商店街」に切り替えられた。戦後の混乱期にいち早くに設置された街路灯は、当時の金で100万円を投じられた。31年国道の照明と同じく、明るく長持ちする水銀灯に取り換えられた。
 昭和42年ごろから防災建築街区事業に取り組み始めた。43年10月「元一ビル」が完成。都市計画に伴う防災ビル第1号とされた。翌年12月には、その東側に同じ共同防災ビルの「ニューもとビル」が完成した。高い防災意識に、内外から大きな注目を集めた。 平成7年の大震災では全壊を免れ、一部の店舗では早期に営業を再開できた。このことも、防災に対する取り組みが反映されていたようだ。平成12年には長年の懸案とされた空地も解消した。現在は約40の多彩な店舗が軒を連ねている。
 「穴門は元町方面への玄関口。歩道の整備や電柱地中化も含めて、もっときれいな商店街にしたい」と熱っぽく話すのは、同商店街の辰巳真一会長。
 穴門商店街のメインイベントは、神戸の春の風物詩・インフィオラータへの参加だ。第2回から協力し、各店舗も人員を拠出して取り組んでいる。なだらかな傾斜に色とりどりの力作が並び、道行く人の目をくぎ付けにしていく。ふんわりと優しい花びらの香りが実に心地よい。「きれいな商店街に」という辰巳会長の想いも込められているようだ。
 空店舗はないが賃貸店舗が増え、「商店街の人通りの全体的に若返っているようだ」と辰巳会長。店舗の入れ替わりも頻繁になりつつある。景気の影響にあまり左右されない安定した好立地だが、新型インフルの時は大変だったと述懐する。
 地元の自治会「元栄海一丁目町会」と協同し、様々な地域活動にも取り組んでいる。消防訓練、自転車撤去、電柱ビラはがしなどを実施。インフィオラータの際は、自治会も協力するなど良好な関係を結んでいる。
 元町商店街、南京町、栄町通へ向かう人の流れが絶えない抜群の立地。平日は通勤客、休日は観光客や買い物客で終日にぎわっている。有名餃子店などは行列も多く、活気が絶えない。辰巳会長が課題に挙げ、駅前商店街共通の悩みとされる駐輪対策も、地域と協力して成果を上げつつあるようだ。
 穴門といえば、元町。名称の由来のように、駅から元町商店街、南京町をつなぐ「門」であり、お店で賑わう街路としてこれからも栄えていく。
(2010.4月発行)