■御旅筋商店街(兵庫区)
(NO.45)
塚本通5・6丁目自治会50周年祭に全面協力
神様の宿場≠意味する「御旅(おたび)」。商店街の北端に生田神社兵庫宮、南端から高架下をくぐると柳原戎神社。JR兵庫駅北すぐ、兵庫駅前ショッピング・ユーの東隣りに見える「御旅筋商店街」のアーチが、ひと際目立つ。
同商店街は羽坂商店会、中央商店会、御旅筋商店会、大開商店会の4団体で構成。両端のアーチが目印で、南北約300mの両端に、48店舗が営業している。
御旅筋の歴史は古い。大正時代から店舗が集積し、御旅市場となる。昭和初期に西日本初の天幕式アーケード、昭和9年には鈴蘭灯を設置され、戦前は大賑わいを呈した。
太平洋戦争による神戸大空襲で焼け野原となるも、昭和36年に「御旅筋商店街連盟」が創立。記念事業として南北の両入口にアーチが建設され、昭和40年代前半、戦前の活気を再び取り戻したと思われた矢先の昭和42年、山陽電鉄兵庫駅が撤去され、市電も廃止された。
跡地には高層の公団住宅が建設され、食品スーパーなどショッピングセンターも入店した(現在の兵庫駅前ショッピング・ユー商店街)。ターミナル機能が神戸高速大開駅に集約され、客導線が激しく変化し、大きな転換期を迎えた。
兵庫駅前の空洞化が進みつつある最中に発生した平成7年の大震災では、ほぼすべての店が全壊。再建に2年以上を費やした。地域の核を担っていた御旅市場が解体してマンションが建てられ、市場の一部が共同スーパーに業種転換した。
石原会長(右から2人目)ほか商店街のみなさん
兵庫駅から南へ伸びるJR和田岬線。三菱重工神戸工場の従業員らで賑わった駅前も、地下鉄海岸線開通により利用者も減少した。
一方で、人口は増加し続けている。立地利便性から分譲マンションの建設がさかんで、駅南側のキャナルガーデンの開発も進められた。マンションも即完売状態で、”通い”の商業者よりも、駅前に住む商業者も多い。新住民が増加しつつ、Uターンするニューファミリー世代、震災後移転を余儀なくされた旧住民の回帰もみられる。震災後に店舗も減り、専門店が少なくなったが、飲食店が増え、新しいテナントも入店してきている。
同商店街連合会役員たちは「人通りが少ない、空地が多い、高齢化」を課題としてあげつつも、自治会と連携したイベントが盛況となるなど、4商店会、地元自治会の連携が緊密で、一体感に自信を示す。みなと銀行が新開地に移転した後、兵庫県信用組合が入店し、平素より地域活動に積極的に協力するなど、核となる店舗との協力体制も構築している。
「これからは恒例のイベントを作り上げていきたい。積極的な若手リーダーを中心に、青年部の活動に期待・支援していきたい」と話す連合会の石原正会長。
平成18年9月、羽坂商店会エリアの防犯灯を改修。市商連が進める「活性化事業資金緊急融資制度」の適用第一号となった。「防災、防犯に力を入れ、防犯カメラ導入も検討したい」(石原会長)と、安全・安心な商店街づくりを、継続して実践している。
住宅地に変わりつつも、賑わいも感じられる。落ち着いた「大人の街歩き」が楽しめる。同地区の人気はますます高まりそうだ。
(2009.7月発行)