■湊川公園東商店街(兵庫区)(NO.43)
 リビングストリート=B愛称どおり、家具店など「住」分野に欠かせない店舗の集積で知られる「湊川公園東商店街」は、地下鉄湊川公園駅を出てすぐ。山手幹線を挟み、南北の歩道上に伸びる東西約200mのアーケードが目印だ。新開地商店街、湊川商店街と隣接している。こだわりの専門店が多く、49店舗が林立している。
 湊川公園東商店街の歴史は古い。神戸屈指の繁華街・新開地湊川地区の要地として栄えたが、神戸大空襲で周囲一面が焼野原に。戦後間もない1947年、親睦会「さつき会」が結成され、63年に振興組合となる。60年代後半から3期に分割してアーケードを整備し、75年ごろ最盛期を迎え、地域とともに繁栄してきた。
 アーケードが整備された同時期、大きな転換期を迎えた。湊川が終着駅であった神戸電鉄が、新開地駅への乗り入れを開始した。これにより客層から来場者数、商圏まで大きく変化してしまった。
 95年の大震災では、店舗の8割以上が全半壊。3か月間ライフラインが復旧せず、再建に1年以上を費やした店舗もあった。
 戦災、震災と度重なる災害から立ち上がってきた同商店街。97年、ドーム型アーケードと天然御影石を用いたカラー舗装を実施し、復興を強く印象付けた。
 震災から14年を経過した現在、常連の年配客が中心で、商圏も以前ほど広がっていない同商店街は、非常に厳しい商業環境に晒されている。ホームセンターなど郊外大型店の乱立は同商店街を直撃。アーケード完成と同じくして名付けられた愛称リビングストリート≠ノ反映されるように、家具店をメインに生活用品販売店が集積していたが、現在では空店舗の発生や、店舗から住宅への転用が見られ、商店街の機能低下が懸念されている。
 「賃貸テナントや通いの商業者が多くなり、店のオーナーが地域に住まなくなった。後継者不足も危惧される」と述懐するのは、同商店街振興組合の西岡隆理事長。
 一方、周辺の居住人口は増加しており、従来の寿司、喫茶店、仕出し料理、割烹に加え、ファストフード店や食品スーパーなど飲食・食糧品店舗の割合が増えてきた。また、昨年12月には全国チェーンのビジネスホテルも開業。今年4月に大型の家具店跡地に、賃貸マンションがオープン。分譲マンションの建築も予定されている。
 同商店街は先を見据え、若手商業者グループ「2001年会」が発足。ホームページ制作、パソコン講習会など情報インフラの整備にいち早く取り組んできた。
 通学路になっている同商店街。16か所に防犯カメラを設置し、警察と連携しながら犯罪の防止、解決に寄与してきた。「イベント以上に、安全・安心・防犯に力を入れていきたい」と西岡理事長の方向性は明確だ。
 時代を反映するユニークな愛称が、湊川公園東商店街の魅力だ。1949年の「トンネル東商店街」または国旗がずらりと飾られる「日の丸商店街」として知られた。80年代には婚礼衣装、嫁入り道具など結婚に欠かせないアイテムが何でもそろい、何でも相談できる「ブライダルストリート」として名をはせた。
 現在のリビングストリート≠ゥら、社会・地域環境の変化に順応し、5年後、20年後にはどのような愛称が生まれるのか。注目していきたい。
(2009.5月発行)