■六甲本通商店街(灘区)
(NO.38)
店舗名入りバナー
東の副都心と位置づけられるJR六甲道駅周辺は、再開発や区画整理に伴うマンションの建設ラッシュで、人口が急増している。半数以上が新住民で、若い世帯が目立つ。駅北のフォレスタ六甲を抜けるとすぐに、六甲本通商店街のアーケードが見えてくる。
歴史は昭和初期にさかのぼる。街並み整備に伴い多くの人が住み始め、商店が増えてきた。1934年には地元からの請願駅である現在の六甲道駅が開設され、商店会で共栄会が組織された。当時は店舗間に針金を渡して、テントを開閉していたそうだ。
戦中の神戸大空襲を免れた同地区は、1948年に木製アーケードを設置。隣接していた六甲道駅前、六甲北と合併して六甲道商店街が発足した。1965年の駅前再開発に伴い、六甲道商店街と分離して六甲本通商店街として再発足。灘神戸生協(現コープこうべ)の出店を機に商圏も拡大し、繁栄してきた。
震災で商店街は全壊し、1998年にアーケードが復旧。コープこうべも2004年まで仮設営業を強いられた。現在は通行量も多く活気にあふれ、震災の傷跡はほとんど感じられない。
六甲本通商店街は全長100mで、南北になだらかな坂道を形成している。43店舗が営業し、空店舗はない。飲食店と中食を含めた物販店との業種バランスも良い。商店街の店舗名入りマップバナーは、素晴らしいアイデアだ。地域住民と外国人留学生との理解を深めようと、神戸大学に通う留学生との交流会を開催するなど、独創的な取り組みも展開している。
”明るく綺麗で開放的”。これが六甲本通商店街の第一印象だ。 「綺麗でないと、客はこない。マナーのいい、明るい、綺麗な商店街に、街にしていきたい」と同商店街の松本修会長。歩道拡幅に伴い花壇を整備するなど、駐輪対策にも好影響を与える綺麗な地域づくりは、周辺商店街にも好影響を与えている。
商店街役員たちの地道で粘り強い活動や、安全で安心、綺麗な商店街づくりに賛同が広がり、大型店や金融機関だけでなく、なんとマンションの管理組合も含めて、1店舗を除き全ての店舗が商店街の組合員に加盟している。商業地域において居住者と商店街が共生する、一つのモデルといえる。住民にとっても、商店街はモノを買う場であるだけでなく、安全で明るい、清潔な地域の核として、不可欠なものであるという認識の表れだろう。
賑やかな六甲本通商店街
新住民の急増に比例し、同地区は市内屈指の商業激戦地に変貌した。半径500mに14もの大型店がひしめく。商業集積として差別化を図るべく、同商店街とコープこうべ、近接する食の工房みやまえが密接に連携し、実にフレンドリーな関係で共栄共存している。松本会長は「お互いの強みを出すことが、地域の発展につながる」と考え、「単独で戦うよりも、商業集積として戦う方がメリットも大きく、他の大型店との差別化に繋がる」とコープ六甲の宮田久店長も同調する。
空店舗はないものの、店舗のオーナーが経営の一線から退き、賃貸テナントが増えているのも事実だ。様々な問題を話し合い、地域商店街の発展に尽力する「オーナー会」を軌道に乗せていくことが、松本会長の当面の目標だ。
六甲本通商店街は常に人が絶えることなく、笑顔がはじけている。六甲本通商店街の持つポテンシャルは、計り知れない大きさだ。
(2008.11月発行)