■東日本大震災 「被災商業地レポート」
(NO.1)
田老地区の仮設商業テント
マグニチュード9.0。阪神・淡路大震災ですら7.3だった。
2011年3月11日。東北の三陸地方、関東の常磐地域を襲った地震に起因する大津波は、海べりで生活する方々のすべてを奪い去った。
岩手県宮古市では、田老地区をはじめ沿岸が壊滅的な被害を被り、沿岸部では依然として瓦礫と廃車の山が積み重なり、復興の見通しが立てられない状況に置かれている。
田老地区の住民、商業者は、沿岸中心部から少し離れた「グリーンピア田老」で被災生活を送っている。仮設住宅の建設が急ピッチで進む中、5月15日、「田老スタンプ会」が中心となり、プレハブ仮設店舗に入庫前の段階として、「たろちゃんテント」がオープンした。
約10店舗がテント内で主に被災住民対象に商売を開始し、2ヶ月後の仮設プレハブ店舗入居に向けて一歩前に進みだした。
宮古市の中心市街地商店街は、中央通商店街と末広町商店街の両振興組合を中心に、網の目のように商店が連なっている。
瓦礫と廃車の山
阪神・淡路大震災と大きく異なる点は、揺れそのものの倒壊ではなく、大津波によるすべてを無に帰してしまう広範囲の被災だ。
エリアによって異なるが、30mを超える大津波は、海岸沿いから幾分離れている中心市街地商店街も呑みこんだ。
海沿いの中央通商店街は、すべての店舗はほぼ全壊し、壊滅的な被害を被っている。半数以上が解体を余儀なくされ、「解体OK」のスプレー書きが至る所で見受けられる。しかし、商業者たちは絶望の淵から立ち上がり、単なる復興ではなく、以前よりさらに活気のある商店街づくり、まちづくりに動き出した。
隣接する末広町商店街は、各店舗が1m以上浸水し、中央通商店街と比較して被害は軽微なものの、強烈な被害に見舞われた。
ただ、末広町商店街はいち早く営業を再開。泥海水をかぶった衣料品を洗って激安で販売したり、被災者のために力強い復興の槌音を響かせている。
津波の映像や写真を見て、「なぜあんなに海水が黒いのか」と感じられた方も多いはずだ。それは、三陸海岸の中心地が年月を重ねて積み重ねたヘドロだった。ほとんどの店舗がヘドロの除去と臭いに悩まされている。
商店街の組合員も数多く亡くなり、商店街どころか街の存亡が危ぶまれる中、被災地の商業者は力強い一歩を歩み始めている。
震災から3カ月を迎える6月11日から2日間、宮古市中心市街地商店街では「ガンバロー宮古 頑張るぞ!商店街」と題したイベントが、被災商店街の中でいち早く開催される。
阪神大震災で壊滅的な被害を被った神戸の商店街。東北の被災商店街が求めているのは、震災を乗り切り力強い歩みを続けている神戸商人、神戸商店街の現在に至る労苦、復興過程、アドバイスである。(東 朋治)
(2011.6月発行)