■20年経ちました  (NO.90)
 節目の20年。と、誰もが口にしていましたが、節目ってなんでしょうね。事業が完了したとか、新しく何かが始まるとかだと分かりますが、まだまだ復興の途上だとしたら節目ではありません。数字の切がいいからだけなら、意味のない言葉です。なんて、固いこと言わずに、20年経ったから気持ちを新たに前に進もう、ということでとりあえずは了解しておきましょうか。
 今年の1月17日には、溢れんばかりの人が、というか実際溢れてましたが、東遊園地に集まりました。5時半ぐらいに着いたら、もう広場には行けませんでした。外からは人の頭しか見えませんでした。いつものように竹筒が並んでいるはずなのに、そんな空間すら感じさせないほどの人、人、人でした。

産経WESTのHPより
 前日の16日には、夜の9時から朝の5時まで夜を徹して、この20年を振り返る「朝まで神戸復興塾」なる催しに参加しました。神戸復興塾とは、このコラムでも何度か出てきましたが、阪神淡路大震災から一年後の1996年に設立されたいろんな専門家の集団です。
(詳しくはhttp://www.kobe-machiken.org/juku/juku01.html

1996年1月16日の朝まで長田

朝まで神戸復興塾
その年の1月16〜17日には、長田区で「震災を語り継ぐ夜―朝まで長田」を開催しましたので、19年ぶりの2回目ということになります。
 この時は全国から来ていたボランティア達共々、これからの復興の課題や方向などを熱く語り合いました。終了後は菅原地区の慰霊祭に出席して、献花のお手伝いをしながら、カメラの照明を消してくれなかった態度の悪いマスコミ陣に切れてしまいました。普段は温厚な私なのに…。
 今回は福島・宮城・岩手からの参加者も含めて、延べ92人も来てくれて、復興塾の成り立ちから、これからの復興と地域社会のあり方まで幅広く議論を交わしました。私も復興塾の創立メンバーとして、前半部分で当時のことや思いを話しました。昔の思い出話を仲間内で喋っているという態になっていたかもしれませんが、震災後生まれや、当時のことをよく知らない若い世代もたくさん来てくれていましたので、それはそれで良かったかなと。後で、「おもしろかった」「当時のことよく分かりました」と若人から言われて一安心でした。
 さすがに19年も歳を重ねると徹夜はしんどかったです。まだまだ言い足りなかったですが、これからも機会があれば、特に若い世代に向けて、そして復興の真っ只中にある東北の被災地に向けて、思い出話ではなくて神戸で経験し学んできたことを伝えたいと思います。それが、オールド達の使命なのです。
 最後に、そんな徹夜の議論での名言・至言をいくつか紹介します。決して迷言・死言ではありませんよ。
〇自分のやってきた事を通してしか思いは語れない。
● 防災の常識を疑え!
○悲しみは共有できるけど、記憶は伝えられない。
●伝えるべきは記憶ではなくて、記録だ。
○振り返るのは嫌い。後悔もしない。そんな暇があったら今できることをしろ!
(2015.2月発行)