■商店街と私
(NO.1)
三和本通商店街(尼崎市)で企画した宝くじ
今月から連載を担当する三谷真(みたにまこと)です。途中7年ほど尼崎に住んでましたが、神戸生まれの神戸育ちです。現在は長田区在住です。大学で商業論というのを教えています。特に最近は日本各地の商店街を回ったり、ゼミ生と現場へ行って活性化のお手伝いなどをしています。商業を学ぶためには書物だけでは無理で、現場へ行くこと=フィールドワークが大事なのです。そうした経験や見て歩きを少しずつ紹介できればと思います。
今回はこんなお話から。大学でなぜ商業論という分野を選んだのかというと、師匠(恩師です)との出会いというのももちろんありますが、よーく考えてみると私自身の商業体験というのも大きな要因だったような気がします。私が育ったのは灘区ですが、水道筋商店街が近くにあり、時々おふくろの買い物についていってました。よく利用していたのは、畑原市場でした。なじみのお肉屋や魚屋があって、そこの女将さんなどに声を掛けられたりしたものでした。3つ上の兄と3人で行った時に、「ご主人ええのありまっせ」と言われて、おふくろが「何言うてんのー。息子やん」と笑いながら答えていたのを思い出します。よほど兄は老け顔だったのでしょう。
時代は昭和40年代。高度経済成長期の真っ只中で、市場や商店街がほんとに繁盛していた時代です。同級生にも呉服屋、洋服屋、漬物屋なんていうのがいましたし、日常的な買い物はほとんど商店街と市場でした。漫画を立ち読みしていると、必ずハタキを持って近づいてくる店主がいる本屋があったり、ちっちゃなちっちゃなでもおいしいたこ焼き屋があったり、当時としては最先端のおやつセンターなんていうのもありました。ピロシキやおにぎりを食べたのを覚えています。
そうそう、水道筋には銭湯も映画館(高校時代によく通いました)もありました。映画館の前にはおいしい串カツ屋がありました。このお店はあの震災で一時JR六甲道の南に移っていましたが、また同じ場所で再開を果たしています。だいぶ前に久しぶりで行きましたが、当時の味とまったく変わってなかったのがうれしかったです。
商店街は買い物をする場所であり、同時に私たちの世代にとっては遊び場だったのです。ところが、今の若者にはこういった商店街体験がありません。学生たちも同様です。郊外で生まれ育った子供たちだと、商店街そのものを知りません。フィールドワークをする意味がここにもあるのです。彼・彼女らには商店街はどう映っているのでしょう。
(2007.9月発行)