■生田東門商店街(中央区)(NO.41)
 「神戸の夜の顔」といえば、真っ先に思い浮かぶのは通称`東門街a。生田神社に隣接し、大阪の北新地と並び称された「生田東門商店街」周辺は、兵庫随一の歓楽街である。
 文明開化以降、外国人の需要に支えられ、明治時代から商店などが集積していた同地区は、1958年赤線廃止に伴い、飲食店が集積し、60年代後半に最盛期を迎えた。66年の大水害でも大きな被害を被ったが、乗り切ってきた。
 前身の生田東門商店街生田会が震災前年の94年、道路舗装工事実施に際し協同組合に移行した。
 95年の大震災で東門商店街は壊滅、道路封鎖されるなど、再建に最低1年以上要した。「数時間前に地震が発生していたら、被害はもっと拡大していた。不幸中の幸いだったかもしれない」と同商店街協同組合の中島唯夫理事長は振り返る。
 震災後のバブル経済崩壊以上に、現在の金融不況の影響は深刻だ。企業接待も激減し、従来の高級感あふれる店舗は減少。若者を対象にした飲食店、カラオケボックスなどが増えた。周辺はマンション化が進む。
 従来は東門街への店舗が一極集中していたが、北野坂周辺にも店舗が拡散し、集積効果が薄れてきたことも影響する。「震災後はテナントビルが増え、商業床が激増し、お客様が分散した」と東山英夫副理事長は分析する。
 1階部分で約100店舗、ビル内店舗も通算すると300店舗を優に超える。8割程度の入居率だ。
 洋酒が高価だったころのステータスは、家庭消費に振り向けられた。バブル全盛期から大幅に下落した賃料は、開業資金に余裕のない人たちが商売を始めるキッカケにもなったが、一方で居抜き物件の入居が進み、契約条件も緩和され、商売をすぐに辞めてしまう者も後を絶たない。震災後はコインパーキングも増え、飲酒厳罰化も客足が遠のく一因となっている。
 厳しい商環境の中、商店街役員は組合員入会に力を入れながら、京阪神へ視察に訪れ、活性化のヒントを模索してきた。
 キーワードは「安全・安心なまちづくり」(中島理事長)だ。三宮北部地域全体の安全・安心を推進するまちづくり協議会が関係者の努力で発足し、様々な啓発活動を先駆的に取り組んできた。いち早く商店街に16台の防犯カメラを設置。AEDの設置や、有線放送を用いた飲酒運転撲滅のアナウンスを続けている。商店街に数か所掲げられた「安全で安心なまちづくり宣言!」バナーに、呼び込み禁止などの表示に中国語など三ヶ国表記を取り入れるなど、工夫を凝らしている。これらの取り組みは一定の成果を上げ、呼び込みも一時期より減ったそうだ。
 姫路の魚町、尼崎の神田、そして三宮北部。県をはじめ行政や生田警察署なども参加し、兵庫県下の三大歓楽街が集い、様々なテーマで議論を重ねる年1回の会議も3回を超えた。地域を超え、幅広い連携が進められている。「駐輪対策にも力を入れていきたい」と中島理事長は抱負を述べる。
 全世界に広がる「カラオケ」。その発祥は、東門を中心とした三宮飲み屋街だ。「仕事が終わればどこかで一杯、という習慣はなくならないだろう。お客様が楽しめるいろんな商売の形態を模索、誘致していかねばならない」(東山副理事長)。
 南北約400mの蛇行道路・東門街は神戸の景気のバロメーター。マスコミだけでなく、一般市民の注目も高い。 様々なアプローチを続け、あまたの災害を乗り越えてきた生田東門商店街。新たな神戸の夜の文化をこれからも発信しつづけ、いつまでも灯りをともし続ける。
(2009.3月発行)