■青木商店街(東灘区)(NO.22)

街路樹と街路灯
 阪神電鉄青木駅南口を出てすぐ、蔦にからまれた愛らしい交番の向こうに青木(おおぎ)商店街が広がる。複数の通りに十字にわたる面的な商店街で、喫茶店・飲食店を中心とした約60店舗が立ち並ぶ。街の東側に設置された四角柱型のおしゃれな街路灯は、低い位置から商店街を照らし出し、夕暮れ時にも来街者に安心感を与えている。一方鈴蘭を模した西側の街路灯は、昭和の商店街を偲ばせる懐かしい趣だ。
 東灘区青木地区は、日本神話の時代、神武天皇の東征を水先案内した神が、その役目を終えたときに青亀(あふぎ)に乗ってこの地に漂着したことにその名を由来する。伝説を裏付けるように、高度経済成長前まではウミガメが当たり前のように産卵にやってきたという。
 昔の資料によると、現在の国道43号線のあたりまで、松が林立する美しい白浜が広がっていたとされ、近世は漁業のほかに素麺製造業や酒造業も営まれていた。青木商店街が商店街組織として結成されたのは昭和28年とされるが、それ以前から旧西国街道の一部である「浜街道」に面した商業地として栄えていたと考えられる。
 震災では隣接する青木市場とともに商店の約半数が焼失。現在も残っている樹皮が焼け落ちた3本の街路樹が当時の火災の勢いを物語る。街の東側はその街路樹のおかげで火災を免れたが、錯綜する権利関係、被災前からの地域の衰退状況などの要因により、商店街の再建は困難をきわめた。
 周辺には震災以降新築マンションの建設が進み、人口の増加とあわせてディスカウント店やコンビニエンスストアも急増し、商店街を取り巻く状況は厳しい。阪神電鉄の高架計画などハード整備も途上だ。新しい住民を巧みに地域コミュニティに受け入れることも課題のひとつだ。
 青木商店街は餅つきや炊き出しといった地域恒例のイベントを主導するとともに、住民に街のことを学んでもらうために周辺の史跡などを巡る「青木歴史ウォーク」といった事業を企画、変化する街の中での役割を模索している。
 関係者は「全国的にみても商店街は衰退しているといえるが、完全に無くなることは決してない。つまり街は商店街のもつ何かを必要としているということ。今後も青木のまちづくりに対し、商店街としてどう貢献できるかを考え、地域の活性化に一役担っていきたい」と語っていた。
(2006.7月発行)