■元町高架通商店街(中央区)
(NO.25)
通路を挟んで無数の店がひしめき合う
三ノ宮駅から元町駅をはさんで神戸駅にまでかかるJR高架下には、無数の商店がひしめき合っている。JR元町駅西出口を出てすぐ西にある「MOTOKOH TOWN」の看板は、高架下でも特にディープな店舗が並ぶといわれる元町高架通商店街、通称「モトコー」の入り口だ。
戦後、焼け野原となった神戸に残った数少ない構築物である旧国鉄の高架下に人々が集まり、食料品や生活必需品の販売をはじめたいわゆる「闇市」がルーツと言われている。闇市を起源とする商店街の多くが現在繁華街となるなか、モトコーは当時の面影を残す特異な商店街で、同じ高架下でも三ノ宮・元町間に若者向けのアパレル店が多く展開されている三宮高架商店街「ピアザ神戸」とは印象が大きく異なる。
東西約1k、幅2m弱の細長い通路の両側に店舗が軒を連ね、歩きながら顔を左右に振るだけで品物を吟味することができる。
元町駅から神戸駅にかけて7つのブロックに分かれており、一番街から三番街のあたりまでは、カラフルなアクセサリーや雑貨、ファッション系の店が目立つ。中でも戦後直後の創業から流行に左右されないイギリス・アメリカのインポート物を扱うセレクトショップや、あらゆるデザイン・サイズのコンバースを取り揃えることで「聖地」と称され全国から客を集める店など、こだわりの専門店が人気を博している。比較的若い商店主も多く、店の入れ替わりも激しいという。
西に向かうにつれてレトロな玩具やテレビゲームソフト、珍しいレコードを集めるショップ、電化製品や家具のほか、あらゆる種類の中古品やその部品を扱う店が増えてくる。照明も次第に薄暗く、シャッターの閉まった店も多くなるが、アンダーグラウンドな雰囲気を求めるモトコーファンの足は絶えない。
モトコーにはかつて東南アジアや旧ソ連など、異国の船員や観光客が、日本の安くて質の良い商品を求めて集まってきていた。日本人もまずモトコーで商品の下見をしてから、三宮や大阪の店と比較し、やっぱりモトコーで購入するという買物パターンも多く見られたという。日本のウォーターフロント開発の先駆けであるハーバーランドの誕生以降は、神戸の中心地を結ぶ`通路aとしての役割も担った。
転機はやはり大震災。被害こそ少なく、一時期は神戸の中心に残った数少ない商業地として人々の生活を支えたものの、神戸に入港する外国船は減少、神戸経済への打撃も通行客の減少に直結した。一方で進んだ世代交代は、目新しい飲食店など、新たな業種を呼び込み、古いものと新しいものが混在するモトコーの個性を輝かせている。
関係者は「昔と違いものがあふれている現代において、このモトコーでも立地だけに頼った商売の継続は不可能。私たちには商店主個人のセンスで個性的な商品を集め、個性的な店作りを行って、ハイカラ神戸のイメージづくりの一翼を担ってきた自負がある。社会情勢の変化に柔軟に対応しながらも、愛されるモトコーの雰囲気を残していきたい」と話していた。
(2007.3月発行)