■私たちも応援します!!  (NO.45)

001と005
 私たちの生活は安定した日常の上に成り立っています。それは政治、社会、経済という分野での安定はもちろんのこと、日頃は忘れがちですが、雨や雪や風といった自然の安定も含まれています。昨年の暑い夏や雨・雪の多さが、それを「異常気象」と呼ぶかどうかは別にして、私たちの生活に多大な影響を及ぼしたのは記憶に新しいところでしょう。そして、今回また大地が揺れ、海が暴れて大自然の猛威というものを私たちに見せつけました。
 16年前に阪神淡路大震災を経験した私たちは、大地が揺れる怖さをいやというほど思い知らされましたが、同時に、地震は防火対策と耐震や免震構造の建物とまちなみを作れば減災することができる、ということも学びました。しかし、今回起きた大津波の前では、ただただその凄まじさに驚き、恐れ戦くばかりです。マグニチュード9・0という大きさだけでなく、東北から関東地方の太平洋側の沿岸部が津波と地震で被災するという、その範囲と規模の点でも阪神淡路大震災の比ではありません。震災後1ヶ月経った4月11日現在でも、行方不明者が15,000名弱という未曾有の大災害なのです。
 だからと言って、手をこまねいているわけにはいきません。神戸でもいろんなNPOやグループが県内に避難してくる被災者(原発避難も)の受け入れやケアに動き出していますし、多くの人が現地へ飛んで直接被災地の支援に当たっています。阪神淡路大震災の経験は確実にそして着実に活きています。
 私はと言えば、行っても何にもできないけど、とにかく現場へ行ってみたいという気持ちが強くて、夜行バスで仙台入りをして4月の2日3日と宮城県の沿岸部を見て回るという「被災地支援ネットワーク」のグループに急遽付いて行きました。とくに、このコラム(2008年7月)でも紹介した石巻市の駅前商店街が気になっていたのです。

石巻駅前の009
 気仙沼から仙台市の南と名取市を見てきましたが、とにかく凄まじいです。筆舌に尽くし難いとはこのことです。被害に「表情」というものがあるとしたら、地域ごとにその表情は違っていました。見るのもつらかったのが仙台市若林区の荒浜地区でした。海のすぐそばで平地が続くこの地区では多くの人が逃げ遅れ、波に呑まれたのです。遺体を探すヘリコプターや捜索隊の姿がなんともやりきれませんでした。
 石巻市は浸水区域が一番広くて、住宅街も港も壊滅状態でしたが、駅前では009が無事に建っていました。いくつかは壊れましたが、商店街にある萬画キャラクターも健在でした。石ノ森萬画館は、館がある中瀬地域はすべての家屋が倒壊しましたが、建物は奇跡的に残っていました。スタッフも全員で無事でした。1階部分は浸水による汚泥と瓦礫で埋まっていましたが、今はほぼきれいになっています。萬画館を管理している指定管理会社の「(株)街づくりまんぼう」の西條允敏(さいじょうまさとし)社長にたまたま会うことができました。萬画館もさることながら、石巻の復興の様子を見ていてくださいね、と言われました。
 まずは住宅再建と漁業の再建が緊急かつ長期的な課題ですが、時間もかかります。私たちにできることの一つは、神戸での経験を被災地にもっともっと伝えることです。それを実践するために、ゴールデン・ウイークには仲間たちとまた石巻へ行ってきます。全国からの支援と知恵と思いが被災地に届くことを祈る毎日です。
(2011.5月発行)