■二宮商店街(中央区)(NO.30)

二宮地区の大動脈、二宮筋商店街
 JR三宮駅東口北側は、専門学校生など大勢の若者で賑わう地域だ。その地域の東側に、二宮地区の食の台所・二宮市場をコの字に囲むように、「二宮商店街琴三四会」「二宮センター街商栄会」「二宮筋商店街振興組合」が商業地域を形成している。
 「二宮商店街琴三四会」は、南北約100mにわたるアーケードの下に昔は35店舗が営業していたが、現在では17店舗が営業している。昭和27年に設置された木造アーケードは、昭和40年代には近代的なアーケードに生まれ変わった。好調に売上を伸ばしていたが、平成7年1月の大震災のダメージは大きかった。三宮駅東側地区で進んだ再開発と大規模小売店進出も多大な影響を与えたようだ。
 物販店舗と比較し、飲食店比率が高まっている商店街において「店主の高齢化、後継者不足が問題」と話すのは琴三四会の平田文雄会長。「自主開催イベントは困難」(平田会長)としながらも、神戸の気鋭建築家・野口志乃氏らによるアメリカ同時多発テロ追悼『9・11セプテンバーコンサート』の会場として協力し、定着しつつある。
 アーケードの北側とT字に接するのは、30本以上の光輝く街路灯が東西に伸びる「二宮センター街商栄会」だ。両端に昭和34年に設置されたアーチが目印である。
 「明るく、仲良く、楽しくが会のモットー」と話すのは商栄会の宮島丈夫会長。商店街は車両通行可能のため、イベントなどは許可申請などで実現が困難であるが、「消費者は商店街でなく個店の魅力で来街し、買物するので、個店の努力がもっと必要」(宮島会長)と、現状を冷静に分析する。狭い間隔で設置されている街路灯は、防犯機能も高く、安全・安心な商店街づくりを目指すには欠かせない要素だろう。
 そして、二宮商業地区の東側には、歩道上にアーケードが伸びている「二宮筋商店街振興組合」がある。
 昭和38年に振興組合に移行し、昭和47年には歩道上にアーケードを建設するなど、いち早く近代化に取り組んできた。 「歩道整備とアーケード修理に取り組みたい」と話すのは振興組合の長田長成理事長。夏恒例の縁日は、大勢の子ども達で賑わう。
 二宮商店街周辺は、「かつては二宮市場を核として、市場が生鮮食料品、商店街が衣料品や日用雑貨を揃えることによりお客様の利便性を図ってきた」(長田理事長)。だが、市場の衰退が商店街にも波及した上、三宮の飲食店に卸していた店舗も多く、三宮繁華街の盛衰は、同地区の繁栄と比例する。
 ポートアイランド完成による人口流出、震災、駅南の再開発など、幾多の逆境が二宮商店街を襲った。市内の中心商店街と同様、地域の高齢化が進んでいる。しかし、地域住民と商店主でミニグランドゴルフ大会などのレクリエーションを定期的に開催するなど、地域連携、地域密着にも力を注いでいる。
 商店街から5分も歩くと、関西屈指の大都心・三宮駅だ。しかし、下町の雰囲気が色濃い。夕暮れに輝き始める街路灯、昭和の雰囲気漂うアーケード。どことなくホッとさせ、懐かしさを感じさせる商店街である。

街路灯が輝く、二宮センター街商栄会

9.11セプテンバーコンサート、二宮商店街琴三四会
(2008.3月発行)